<中学歴史解説>満州事変と日中戦争

昭和時代

【前回のおさらい】世界恐慌について

前回は世界恐慌についてまとめていきました。世界恐慌が起きた原因と,各国の対応を解説しました。

今回は日本を中心に見ていきます。世界恐慌がきっかけで政府に対する国民の不満が高まり,軍部が政治の主導権を握るようになっていきました。

そして植民地や資源を求めて海外侵略を行うようになっていきます。

ここから一気に戦争の時代に突入します。その流れを丁寧に解説しますよ!

日清・日露戦争から第一次世界大戦,世界恐慌までの流れはこちらから!

日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

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満州事変までの流れ

前回説明した通り,1923年に関東大震災,1927年に金融恐慌,1930年に昭和恐慌が起き,日本経済は深刻なダメージを受けました。

そしてそんな状況をなかなか改善できない政府に対して,国民は不満を感じるようになりました。そこで台頭してきたのが軍部でしたね。

軍部は海外に侵略して領土を広げ,資源を獲得しようと考えていました。

その中で1930年に開かれたロンドン海軍軍縮会議である事件が起こりました。

ロンドン海軍軍縮会議

この会議で,アメリカ・イギリス・日本は海軍を縮小するというロンドン海軍軍縮条約が締結されました。これに調印した日本の首相は浜口雄幸はまぐちおさちです。

しかしこれに日本の海軍は反発し,これは天皇の統帥権とうすいけんの干犯だと主張します。

統帥権とは天皇が軍部を統率する権利のことで,これは大日本帝国憲法によって定められていました。だから軍部に関わることは,天皇の承諾を得ないで勝手に決めるべきではないと主張したんですね。

そして1930年11月14日には,条約に調印した浜口雄幸首相が銃撃されるという事件も起きました。これが原因となって,翌年に浜口雄幸首相は無くなってしまいます。

この出来事をきっかけに軍部は独自で勝手に行動していくようになり,戦争の時代に突入していくことになります。

柳条湖事件

この当時の中国国内では,中国共産党中国国民党という2つの政党が対立して争っていましたが,日本が中国に持つ権益を取り戻そうとする動きも徐々に強まりつつありました。

その動きに危機感を覚えた満州駐在の陸軍である関東軍は,1931年に柳条湖りゅうじょうこという地にある南満州鉄道を自分たちの手で爆破し,それを中国軍の仕業だとして軍事行動を開始しました。

この出来事を柳条湖事件と言います。

そのまま満州を占領して,1932年には中国が清王朝だったときの最後の皇帝である溥儀ふぎを元首とする満州国を建国しました。

これがいわゆる満州事変です。

五・一五事件

満州事変の後,日本国内ではさらに大きな事件が起こります。それが1932年5月15日に起きた五・一五事件です。

これは満州国の承認をためらっていた当時の首相の犬養毅いぬかいつよしが,海軍の軍人に暗殺されるというものです。これによって政党政治は終わり,今後は軍人が首相になることが増えていきます。

犬養毅が殺害される際に言った『話せばわかる』と,それに対する軍人が言った『問答無用,撃て』というやり取りは非常に有名ですね。

この事件のあと国内では満州国が承認され,国民も日露戦争で勝ち取った満州の地を中国から守ったとして,関東軍の行為を支持しました。

国際連盟脱退

満州事変に対してもちろん中国は黙っていません。

中国は,満州国の建国は日本の不当な侵略行為であり無効であると国際連盟に訴えます。

そこで国際連盟はリットン調査団を満州に派遣して調べた結果,中国の言い分が正しいと判断しました。そして日本には満州から撤退するように勧告しました。

この決定を日本は不服として,1933年国際連盟を脱退してしまいます。つまり国際社会から孤立していったわけですね。

二・二六事件

まだまだ国内の混乱は続きます。1936年2月26日に,陸軍将校たちが二・二六事件を起こします。

これは陸軍将校ら約1,500名が起こした大規模なクーデターで,天皇を利用している今の政治家を排除して,天皇中心の新政府を樹立しようという考えのもと行われました。

この考えを持つ派閥を皇道派こうどうはと言い,首相や大臣などの要職に就いている人物を襲いました。

二・二六事件は鎮圧されましたが,これ以降はさらに軍部の勢いが増し,政治の実権を握るようになっていきます。

日中戦争

満州事変によって満州国を建国した日本ですが,それだけにとどまらずさらに領土を広げようと考えます。

そのため中国とは一触即発の緊張状態が続いていました。そして1937年7月11日,北京郊外の盧溝橋ろこうきょうという橋の近くで武力衝突が起こります。これが盧溝橋事件です。

盧溝橋事件をきっかけに,日本と中国は宣戦布告をしないまま戦争に突入しました。これが日中戦争ですね。

ちなみに宣戦布告をしなかった理由は,宣戦布告をすると戦争状態になってしまい,アメリカの中立法という法律が適用されてしまうからです。

中立法とは,アメリカ大統領が戦争状態にある国が存在していることを宣言すると,その国に対して軍需物資を支援することを禁止するという法律です。

日本はすぐに戦争が終わると考えていましたが,1937年9月に中国国内で争っていた中国共産党毛沢東もうたくとう中国国民党蒋介石しょうかいせきが日本に対抗するために手を結び,抗日民族統一戦線を結成しました。

1937年12月に日本は中国の首都である南京なんきんを占領しました。これを南京事件と呼びます。

このときに一般市民を殺害するといった残虐な行為も行われ,国際的に大きく非難されます。

国家総動員法

戦争を早く終わらせたかった日本は中国と和平交渉も進めていたのですが,首都の南京を占領できたことで調子に乗ってしまい,中国に対してさらに要求を増やしていきます。

そのため中国は徹底して抗戦しようと考え,和平は実現しませんでした。また,アメリカやイギリス,フランス,ソ連といった国も中国を支援したため戦争は泥沼化していきます。

長期化した戦争に対応するために,首相の近衛文麿このえふみまろ1938年国家総動員法を制定します。

これによって政府は議会の承認がなくても労働力や物資を戦争に動員できるようになりました。

満州事変と日中戦争 まとめ

以上が満州事変と日中戦争のまとめになります。

度重なる経済危機によって軍部を支持する声が高まり,満州事変や日中戦争といった戦いに繋がっていきました。また,国内でも首相や大臣が襲われるなど,ひどく乱れた状態になってしまいました。

こんな状態では何一つ良い方向に行くわけがないですよね。

次回は第二次世界大戦と太平洋戦争をまとめます。第二次世界大戦はどのように始まったのか,そしてそこに日本はどうかかわっていったのか。その流れを丁寧に解説しますよ!次回もお楽しみに!

中学校では習わないようなプラスアルファの内容も含んでいますが,高校で習うのでまとめて覚えておくと便利かと思います!

何を学ぶにしても,まずは基本をしっかり理解して土台を作ってあげることです!この記事を土台にして,そこから自分で調べてさらに積み上げていってください。

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