<中学歴史解説>世界恐慌

昭和時代

【前回のおさらい】大正デモクラシーについて

前回は大正デモクラシーについてまとめていきました。第一次世界大戦期の各国の出来事と,日本国内の流れを説明しましたね。

今回は世界恐慌について説明していきます。1929年にアメリカのニューヨーク株式相場で株価が大暴落したことをきっかけに,世界中が深刻な経済危機に見舞われます。

そこで各国は経済を回復させるために,様々な施策を行っていきます。

では具体的にどういった施策を行ったのか,またその結果どうなったのか。この辺りを詳しく解説しますよ!

日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

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世界恐慌

1929年10月24日に,アメリカニューヨーク株式市場で株価が大暴落して,世界中が大不況になるという出来事が起こりました。これを世界恐慌と言います。

ではなぜ世界恐慌が起きたのか。その背景を簡単に説明します。

世界恐慌の背景

話は第一次世界大戦のときに戻りますが,このとき戦場となったのはヨーロッパでしたね。そのため,戦場になっていないアメリカがヨーロッパの国々に代わって物の生産を行っていました。

ちなみに日本も同じような状況で,アメリカと日本はこの当時は輸出量が大きく増えて好景気になっていました。お金がたくさん出回るようになって,物の値段も上がっていきました。

特にこの当時のアメリカは世界一の経済大国になっていて,アメリカの会社の株を買っておけば絶対に儲けられると考え,株を買うために銀行からお金を借りる人もたくさんいました。 

しかし第一次世界大戦が終わりヨーロッパの国々が復興すると,アメリカや日本に生産を頼る必要がなくなりますね。その結果,アメリカや日本では製品が大量に売れ残ってしまいました。

そうすると製品を作っている会社は利益が出なくなってしまいますね。利益が出ないと従業員の給料が少なくなります。ますます物は売れなくなって,どんどん不景気になっていきました。

そんな状況なので,アメリカの会社の株を買っていた人たちは,『このままだと会社は利益を出せずに潰れるだろうから,その前に株を売ってしまおう!』と思ったわけですね。

そして10月24日に株を売る人が続出し,それを見た別の人がさらに株を売っていき,アメリカの株価が大暴落しました。

株価が大暴落したことで,その株を持っていた人や会社は一気に苦しい状況になってしまいました。その株を持っていれば利益が出る,という前提で今までお金を使っていたのに,それが借金に変わってしまったからですね。

その結果,倒産する会社や銀行,仕事を失う人が続出しました。そしてこれはアメリカの株を買っていた他の国にも広がり,世界中が大変な不景気になりました。

世界恐慌の対応

世界恐慌が起きたことで,各国は対応を迫られます。

では具体的にどういった対応をしていったのか,国ごとに見ていきます。

アメリカ:ニューディール政策

世界恐慌によってアメリカでは失業者が溢れていました。ピーク時には約25%,つまり4人に1人は仕事がないという状態にまでなっていました。

そこで,フランクリン・ルーズベルト大統領はこの状態を改善すべくニューディール政策(新規まき直し政策)を実施しました。

内容としては,政府がダム建設などの公共事業を積極的におこし,失業者に仕事をつくってあげました。

また,農作物も売れなくなっていたので,政府が買い取ったり価格を調整するなどして,経済の安定化を図りました。

大成功とまでは行きませんでしたが,多少は国民の生活が安定しました。

イギリスとフランス:ブロック経済

イギリスとフランスは特に植民地を多く持っている国でした。イギリスはオセアニアやアジア,アフリカに,フランスはヨーロッパなどですね。

そこでこの2国は,自国と植民地の間の貿易を強化して,他国の製品には高い関税をかけて入ってこないようにするというブロック経済を行いました。

これによって経済を安定化させることに成功しました。

ちなみにブロック経済の「ブロック」は英語で”bloc”と書き,「団体,圏,連合」といった意味です。”block(障害,妨害)”ではないですよ!

ソ連:五か年計画

ソ連はロシア革命によって社会主義の国となっていました。そしてスターリンが主導して五か年計画を実施していました。

五か年計画とは,国が農業や工業の計画を立てて生産をするというやり方で,物の量は国が管理するため景気の良し悪しが基本的にはありません。

そのため世界恐慌の影響はほとんど受けず,この時期にどんどん力を付けていきます。

ドイツ,イタリア,日本:ファシズム

世界恐慌の影響を最も受けたのがドイツでした。ドイツは第一次世界大戦で敗北して,巨額の賠償金を支払わないといけなかったからです。

しかし植民地はなく,資源も乏しい国でした。イタリアや日本も同じように,植民地も資源も少ない国だったので,イギリスやフランスのようにブロック経済を行うこともできません。

そこでドイツ,イタリア,日本は植民地や資源を求めて外国に侵略するようになります。

このような個人の自由や人権よりも国全体の利益を重視する考えのことをファシズムと言います。

では具体的にどういった行動を起こしたのか,国ごとに見ていきます。

イタリア

イタリアではムッソリーニファシスト党という政党を結成し,独裁政治を行いました。

そして海外侵略を行い,1936年にはアフリカのエチオピアを併合しました。

ドイツ

ドイツではヒトラーナチ党(ナチス)の党首となり,独裁政治を行いました。

第一次世界大戦で敗北して結んだベルサイユ条約によって,ドイツは領土の縮小賠償金の支払い軍備の制限などが決定され,国民の生活は非常に苦しいものになっていました。

さらに追い打ちをかけるように世界恐慌が起き,ますます状況が悪化していたときに現れたのがヒトラーでした。

ヒトラーはドイツ民族の優秀さを国民に説いて国民の支持を得て,ベルサイユ条約の破棄や植民地の獲得などを掲げます。

また,ヨーロッパに強く根付いていた反ユダヤの感情を利用してユダヤ人をドイツの敵と仕立て上げることで,ナチ党の支持を集めていきました。

このユダヤ人迫害はひどいもので,強制収容所をつくってそこにユダヤ人を収容し,殺害するといったことが当たり前のように行われていました。

ユダヤ人迫害はここからさらに厳しさを増していくことになります。

日本

日本では1923年に起きた関東大震災,そしてアメリカと同じように第一次世界大戦後に製品が売れなくなったことなどが原因で,経済が悪化していました。

その結果,1927年金融恐慌1930年には世界恐慌が日本にも広まって昭和恐慌が起き,さらに経済に深刻なダメージを与えました。

このような状況の中で,適切な対応をとれない政治家に国民の不満が高まっていきました。そこで台頭してきたのが陸軍・海軍といった軍部です。

軍部は経済危機を解決するために,資源や植民地を獲得することが必要だとして海外侵略を進めていくようになります。

ここから戦争の時代に突入していくことになります。

世界恐慌 まとめ

以上が世界恐慌のまとめになります。

世界恐慌が世界中に与えた影響はたいへん大きなものでした。そして世界恐慌をきっかけに,各国の行動も大きく変化していきます。

次回は世界恐慌以降の日本の動きをまとめます。日本はここから戦争に向かうようになっていきます。その流れを丁寧に解説しますよ!次回もお楽しみに!

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