<中学歴史解説>大正デモクラシー

大正時代

【前回のおさらい】第一次世界大戦について

前回は第一次世界大戦についてまとめていきました。第一次世界大戦が起きたきっかけや,大戦中の流れ,そしてそのとき日本は何をしていたのかなどを解説しました。

今回は第一次世界大戦期に各国で起きた出来事,そして日本は大正時代になっていましたが,国内では民主主義を求める動きが盛んになります。

このあたりの内容を詳しく解説していきます。

明治維新から日清・日露戦争,第一次世界大戦までの流れはこちらから!

日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

created by Rinker
¥523 (2024/02/26 23:49:04時点 楽天市場調べ-詳細)

ロシア革命

1905年の日露戦争のときに,ロシア国内では革命が起こっていました。皇帝が自分の好きなように政治を行う専制政治せんせいせいじに対する不満がこの当時から高まっていました。

そして第一次世界大戦中の1917年,相次ぐ戦争によって国民も疲弊し,さらに当時の皇帝ニコライ2世の専制政治に対する不満がピークに達してついに革命が起こりました。これがロシア革命です。

ロシア革命はレーニンが指導のもとニコライ2世を処刑し,世界で初めての社会主義の政府が成立しました。

1922年には,ついに社会主義の国であるソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立し,レーニンの後を継いだスターリンは,工業や農業の生産計画を5年ごとに立て,その通りに進めていく五か年計画を始めていきます。

ここで大切になるのが社会主義です。社会主義とは,簡単に言ってしまうと皆が平等という考え方です。国が生産などをすべて管理して,それを国民全員に平等に分配してあげるといった形です。

社会主義が広まったことで,各国に大きな影響を与えることになります。

シベリア出兵

社会主義の考え方では,当然王様や貴族といった身分もなくなります。

そのため王様がいる国や,資本主義(ひとりひとりが自由に利益を追求できる社会)の国は社会主義が自国に広まることを強く恐れました。

そこでアメリカフランス日本といった連合国は社会主義の考えが自国に広まらないように,1918年にロシアの社会主義政府を倒そうと出兵します。これをシベリア出兵といいます。

しかし結果的にシベリア出兵は失敗し,先ほど書いたように1922年にソ連が成立することになります。

ドイツのワイマール憲法

第一次世界大戦で敗戦したドイツでは,総力戦に貢献した労働者や女性の権利向上を求める声が高まりました。

そして1918年,皇帝が政治を行う帝政から皇帝や王様がいない共和制に移行してワイマール共和国となりました。

翌年の1919年にはワイマール憲法が制定されました。

満20歳以上の男女に選挙権,国民主権,労働者の団結権を認めるなど,後の民主主義憲法の土台となる内容でした。

第一次世界大戦後のアジア

韓国

日本に植民地支配されていた韓国では,1919年に日本からの独立を求めて三・一独立運動が起こりました。

インド

イギリスはインドを植民地支配していましたが,第一次世界大戦でイギリスが勝ったらインドの独立を認めることを約束していました。

しかしイギリスはこの約束を破ったため,インドはマハトマ・ガンディー指導のもと,「非暴力・不服従」を掲げて独立運動を起こします。

有名なのは「塩の行進」です。当時は塩がイギリスの独占販売商品となっており,インドが塩を勝手に作ることは禁止されていました。

それに抗議するために,塩を作るために400㎞もの距離を歩いて海岸まで行きました。このときにイギリス人がインド人にひどい暴力をふるいましたが,インド人は一切やり返しませんでした。

そしてインドはこの行進に新聞記者を同行させて,世界中に報道させました。これによってイギリスへの批判が高まり,後のインド独立に繋がっていきます。

大正時代(1912~1926)

時代は少し前後しますが,1912年から1926年までの15年間は大正時代となります。

第一次護憲運動

1912年,長州藩出身の桂太郎が,薩摩や長州藩出身者を中心とした内閣を組閣し,議会を無視した政治を行いました。

これが他の政党や国民の反感を買い,桂太郎内閣は退陣することになりました。この出来事を第一次護憲運動といいます。

米騒動

1918年,ロシア革命のところで説明したシベリア出兵が行われましたが,シベリア出兵を見越して商人が米を買い占めるという出来事が起こりました。

出兵のために政府は米を買う必要性が出てくるため,そこで儲けようと商人が米を先に買い占めたんですね。しかしこのせいで全国の米の価格が値上がってしまいました。

そして富山県の主婦が米の安売りを求めて暴動を起こし,それが全国に広まりました。これを米騒動といいます。

米騒動の責任をとって,このとき内閣総理大臣であった寺内正毅てらうちまさたけは総辞職しました。

原敬の政党内閣

寺内正毅に代わって内閣総理大臣に就任したのは原敬はらたかしでした。

原敬は立憲政友会りっけんせいゆうかいという政党に属していて,薩長土肥の出身ではなく平民の出身でした。

原敬は平民宰相へいみんさいしょう(宰相=内閣総理大臣)と呼ばれ,原敬内閣は薩長土肥が絡んでいない日本で初の本格的な政党内閣といわれています。

大正デモクラシー

そして大正時代は,国民が主権を持って政治を行うべきという民主主義の考え方も広まります。この風潮を大正デモクラシーと呼びます。デモクラシー(democracy)とは「民主主義」のことです。

吉野作造の民本主義

東京帝国大学(現東大)の教授であった吉野作造よしのさくぞうは,国民の意思を反映した政治を行うべきだとする民本主義みんぽんしゅぎを唱えました。そのために普通選挙を行うべきとも主張しました。

普通選挙とは,身分や財産などによって制限を設けないで,一定の年齢に達したら全員が平等に選挙権を得られるとする制度です。

この考えは「民主主義」とほとんど変わりませんが,民本主義と民主主義の大きな違いは主権は天皇にあるとする点です。

当時は大日本帝国憲法のもと天皇が絶対的な存在だったため,さすがに国民が主権を持つべきだと主張するわけにはいかなかったんですね。

しかしこの民本主義を唱えたことは,後の普通選挙の実現に大きく貢献します。

美濃部達吉の天皇機関説

吉野作造と同じく東京帝国大学の教授であった美濃部達吉みのべたつきちは,天皇機関説を唱えました。

天皇機関説とは,「天皇は国家の最高機関という地位を憲法によって与えられているのであり,神から与えられたものではない」とする説です。

しかしこれは後に軍部が独裁に走ったときに批判され,弾圧を受けることになります。軍部が自分たちの意見を通そうとするときに,「天皇=神」という構図の方が天皇を利用しやすいですからね。

このあたりは後の戦争のところで詳しく話していきます。

社会運動の広まり

大正時代では,戦時中に増加した労働者が地位向上や労働条件の改善を求める運動を起こしたり,女性が参政権を求める運動を起こしたりと,社会運動が広まった時代でもありました。

では具体的にどういった運動が起きたのかを見ていきます。

労働争議

労働争議は,労働者が地位向上や労働条件の改善を求めて起こした労働運動です。

1920年5月1日には日本で初のメーデーが開催されました。メーデーとは,世界各地で5月1日に行われる労働者の祭典です。

小作争議

小作争議は,小作人(地主から土地を借りて,農作業をしている人)が地主(土地の所有者)に対して,小作料(土地のレンタル代)の引き下げを要求する農民運動です。

1922年には,全国的な農民の組織である日本農民組合も結成されました。

全国水平社

江戸時代にえた・ひにんと呼ばれる差別階級がつくられましたよね。そして彼らが住んでいるところは被差別部落ひさべつぶらくと呼ばれ,差別を受けてきました。

その差別をなくすために1922年に京都で全国水平社が設立され,部落解放運動を行いました。

平塚らいてうと青鞜社

女性にも参政権を与えるべきという声もこの時代は多くなります。

平塚らいてうらいちょう青鞜社せいとうしゃという文学団体を結成し,『青鞜』という雑誌を創刊して女性解放運動を進めました。

創刊号に平塚らいてうが書いた「元始,女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。」から始まる文章が有名です。

関東大震災

社会運動ではないですが,1923年9月1日関東大震災が起こりました。

正午ごろ起きたためお昼時で火を使っている家庭が多く,火事が多発して被害は深刻なものとなりました。10万人を超える死亡者が出る大災害となりました。

関東大震災をきっかけに,1925年ラジオ放送が始まりました。緊急時に正確な情報を得るために,無線放送の必要性が高まったからですね。

普通選挙法と治安維持法

1924年に第二次護憲運動が起こりました。

詳細は割愛しますが,また以前のように政党を無視して内閣が組閣されていたので,憲政会,立憲政友会,革命倶楽部かくめいくらぶという3つの政党が協力して加藤高明かとうたかあきを首相とする連立内閣が誕生しました。

そして1925年満25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が制定されました。しかしこのときも女性には選挙権が認められませんでした。

また普通選挙法と同時に治安維持法も制定します。これは社会主義運動や政府の批判を取り締まる法律です。

治安維持とだけ聞けば聞こえはいいですが,中身は政府の考えに反対する者は許さないという悪法でした。国民の不満をそらすために,普通選挙法とあえてセットで制定したわけですね。

大正時代 まとめ

以上が大正時代のまとめになります。

第一次世界大戦期の各国の出来事と,日本国内の流れをまとめていきました。特に日本では大正デモクラシーといって,民主主義や社会運動が広がっていった時代でもあります。

政治などの話が多く少し退屈だったかもしれませんが,特に普通選挙法治安維持法は必ず覚えておきましょう!

次回は世界恐慌についてまとめます。世界恐慌によって世界が大不況に陥り,日本もどんどん悪い方向に進み始めていきます。テストでも頻出の内容なのでより丁寧に解説しますよ!次回もお楽しみに!

中学校では習わないようなプラスアルファの内容も含んでいますが,高校で習うのでまとめて覚えておくと便利かと思います!何を学ぶにしても,まずは基本をしっかり理解して土台を作ってあげることです!この記事を土台にして,そこから自分で調べてさらに積み上げていってください。

また,そこで知った知識を私にも共有してもらえると大変うれしいです!知識はアウトプットすることで初めて定着します。アウトプット相手にも,ぜひこのブログを活用してください!

大正時代歴史
その他の記事はこちら!
SNSのフォローもお願いします!
中高生向け学習支援サイト

コメント