中学校の歴史の授業前半で習う「古墳時代」についてまとめていきます。
弥生時代になってクニが生まれましたが,そのクニがまとまって西日本を中心に大きな政権が出来上がります。その様子を詳しく解説していきます!
歴史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。
前回までの内容は以下のリンクからご覧ください。
古墳時代の始まり
まず古墳時代とは,3世紀~7世紀頃の時代のことを指します。
弥生時代に稲作が伝わったことによって争いや身分の差が生まれ,そこからクニに発展していきましたね。当時の日本の中には,いくつかのクニが存在していたわけです。
各クニのリーダーのことを豪族と呼びます。そして豪族たちは自分たちの権力をアピールするために,大きな墓を作らせるようになりました。この墓を古墳といいます。
エジプトでいうピラミッドと同じ感じですね。大きな古墳を作らせることは,それだけの労働力を動員できるという証明になります。
こうして,日本各地に古墳が作られるようになりました。そのためこの時代を古墳時代と呼びます。
古墳の中には埴輪や銅鏡や勾玉といった呪術的なものが一緒に納められ,古墳時代後期になると武器などが納められるようになりました。
埴輪は,死者の魂を鎮めたり守るために入れられたと考えられています。
日本最大の古墳は,大阪府堺市にある大仙古墳です。
大仙古墳は形も有名で,前が方形(四角形)で後ろが円形をしている前方後円墳というデザインをしています。円形をしている方に亡くなった豪族が入る部屋(石室)があります。
大和政権(ヤマト王権)の誕生
ここまで説明してきたように,日本の各地で豪族が誕生し,古墳を作って権力を示してきました。
そんな中で西日本の奈良を中心に,特に権力を持っていた豪族たちが集まって大きな政権を作り上げました。これを大和政権(ヤマト王権)といいます。
大和政権は複数の豪族たちから成る連合政権というわけですね。
そして大和政権の中でも一番偉い人物は大王と呼ばれました。大王は後に天皇と呼ばれるようになりますよ!
大和政権は日本全体を統一しようと,勢力をどんどん広げていきました。
その証拠に熊本県の江田船山古墳から鉄刀,埼玉県の稲荷山古墳から鉄剣が出土し,それぞれに「獲加多支鹵大王」という同じ文字が記されていました。
ワカタケル大王とは,5世紀頃の大和政権の大王です。つまりこの時代には九州から関東の方まで大和政権の勢力が広がっていたということになります。
また,この頃の大和政権も中国に対して貢物を送っていました。そのことは中国の歴史書である「宋書」の倭国伝という章に記載されています。
この時の中国では魏・呉・蜀が争う三国時代は終わっていましたが,再び争いが起こり,北と南に分かれる南北朝時代になっていました。北朝を北魏,南朝を宋といいます。
そして南朝の宋で書かれた「宋書」の中に,5世紀頃に倭の五王が宋に使いを送ってきたと記載されています。
五王とは,讃・珍・済・興・武という5人の大王のことで,武はワカタケル大王であると考えられています。
大陸との関わり
渡来人
4世紀以降に朝鮮半島から渡来人がやってきて,彼らによって新しい文化や技術などが伝えられました。
渡来人によって仏教・漢字・儒教・須恵器などが伝わり,特に百済から伝わった仏教はその後の日本に大きな影響を与えていくことになります。
古墳時代の朝鮮半島
朝鮮半島では,4世紀はじめ頃に北部で高句麗という国が勢力を強めていました。
南部では,4世紀半ば頃に西に百済という国が,東に新羅という国がそれぞれ建国されました。
さらに朝鮮半島の南部には伽耶諸国(加羅)という小国の連合もありました。日本は伽耶諸国のことを任那と呼んでいて,大和政権は任那に拠点を作って鉄を獲得していました。
また,大和政権は百済と同盟も結んでいます。
古墳時代 まとめ
以上が古墳時代のまとめになります。
大和政権がどのようにして誕生したのか,そして中国や朝鮮とはどのような関わりを持っていたのかをしっかりと理解していきましょう!
次回は飛鳥時代についてまとめていきます。次回もお楽しみに!
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