<中学歴史解説>第二次世界大戦と太平洋戦争

昭和時代

【前回のおさらい】満州事変と日中戦争について

前回は満州事変と日中戦争についてまとめていきました。

度重なる経済危機によって軍部を支持する声が高まり,満州事変や日中戦争といった戦いに繋がっていきました。また,国内でも首相や大臣が襲われるなど,ひどく乱れた状態になってしまいましたね。

今回は第二次世界大戦と太平洋戦争について解説していきます。世界恐慌をきっかけにドイツやイタリアではファシズムが広がり,他国に侵略して世界を巻き込む戦争が起こりました。

そこに日本も参戦して,ますます悪い方向に進んでいくことになります。その流れを世界の動きと関連付けて丁寧に説明していきます!

第一次世界大戦から日中戦争までの流れはこちらから!

日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

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第二次世界大戦の始まり

イギリスとフランスの宥和政策

舞台は一度ヨーロッパのドイツに移ります。ドイツではアドルフ・ヒトラー率いるナチ党(ナチス)が強大な権力を握り,オーストリアを併合するなどの侵略を行っていました。

その勢いのまま,ヒトラーはチェコスロバキアにあるドイツ人が多いズデーテン地方までもドイツに譲るよう要求します。

これに対しチェコスロバキアはもちろん断りますが,ドイツ・イタリア・イギリス・フランスの4か国でミュンヘン会談という話し合いの場が設けられました。

その結果なんとイギリスとフランスはヒトラーの要求をのみ,チェコスロバキアにズデーテン地方をヒトラーに譲るよう指示しました。

イギリスとフランスはヒトラーの要求をのまないとまた戦争になってしまうと考え,ヒトラーのご機嫌をうかがう対応をしてしまったわけですね。これを宥和政策ゆうわせいさくといい,後にこの対応が第二次世界大戦を引き起こしたと大きく批判されます。

ドイツのポーランド侵攻

ヒトラーの次なる狙いは隣国のポーランドです。ポーランドにはベルサイユ条約によって奪われたダンツィヒという都市があり,そこは貿易の重要な拠点でした。

ポーランドに侵攻する際に障害となるのがソ連でした。ドイツはイギリス・フランスとは戦争になると考えていて,そうなったときにソ連にも攻撃されると挟み撃ちにされてしまいます。

そのため1939年8月にドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結び,互いに攻撃しないことを約束しました。

そして翌月9月にドイツはポーランドに侵攻しました。ここでやっとイギリスとフランスも「このままではまずい!」と思い,ドイツに宣戦布告をして第二次世界大戦が始まりました。

パリ占領とイギリス空襲

ドイツはポーランドの西半分を占領すると,次はフランスを攻撃します。そして1940年6月にはパリも占領してフランスを降伏させます。また,このときにはイタリアムッソリーニもドイツ側で参戦していました。

フランスを降伏させたドイツは,次にイギリス本土へ空襲を開始します。しかしこれに対してイギリスは,チャーチル首相のもと粘り強く抵抗しました。

一方でドイツとイタリアは,1940年9月に日本を含めた日独伊三国同盟を結びました。これによって日本が対立していたアメリカも敵に回すことになります。

また,ドイツ・イタリア・日本などのファシズム国家のことを枢軸国すうじくこくと呼び,アメリカ・イギリス・中国・ソ連などの反ファシズム国家連合国と呼びます。

ちなみに1940年5月から6月にかけて,ダンケルクという港町でドイツ軍に包囲されていたイギリス・フランス連合軍を救出するという大規模な作戦が実施されました。

ダンケルクには約40万人もの英仏軍がいて,当初は3万人ほどしか救出できないと思われていましたが,民間人の協力などあり約10倍の33万人近くの兵士を救出することに成功します!

この様子は『ダンケルク』という映画に描かれています。戦争の様子が生々しく描かれている,臨場感あふれる映画となっています。

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独ソ戦の開始と大西洋憲章

アメリカは中立を維持していましたが,ファシズムが勢いづくことに危機感を抱き,イギリスを支援していきます。

この中でドイツは1941年6月に独ソ不可侵条約を破り,突如としてソ連に侵攻して独ソ戦が始まりました。

これに関しては,ヒトラーがなぜソ連を攻撃したのか不明な点も多いようです。イギリスと戦いつつソ連とも戦うのは無謀ですからね。アメリカもイギリスの支援を始めていましたし…

独ソ戦を始めたことによって,ドイツ側優位の戦況が徐々に傾いてくことになります。

これを受けてアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相は,1941年8月に大西洋憲章を発表しました。

これはファシズムに徹底的に対抗していくことと,戦後は平和な世界を再建していくことを示したもので,ここからアメリカはソ連に対しても武器などの支援を開始します。

太平洋戦争までの流れ

日独伊三国同盟の結成

ここで一度舞台は日本に戻ります。日本は日中戦争の真っただ中でしたね。

日本は中国の蒋介石を攻撃していましたが,アメリカやイギリス,フランスなどが蒋介石を支援していたため,日中戦争は膠着状態が続いていました。蒋介石への支援ルートを援蒋えんしょうルートと言います。

そのような中で1940年6月にフランスがドイツに敗れ降伏したことをきっかけに,日本の行動も変化していきます。

まず,7月に近衛文麿このえふみまろ内閣が大東亜共栄圏だいとうあきょうえいけんの建設を掲げます。

大東亜共栄圏とは,欧米諸国の植民地支配を打破して,日本人を中心としたアジア民族の繁栄を目指すというものです。そして9月から日本はフランス領インドシナへの侵攻を開始します。

フランス領インドシナとは,ベトナム・カンボジア・ラオスから構成されるフランスの植民地のことで,日本はここを攻撃することで援蒋ルートを遮断しようとしたわけですね。

そして先ほども書いたように,ドイツ・イタリアとは日独伊三国同盟を結び,アメリカやイギリスとの対立がさらに深まっていきます。

翌10月には近衛文麿内閣のもと,大政翼賛会たいせいよくさんかいという政党が結成されました。

大政翼賛会はドイツのナチ党を真似したもので,戦争のために国が1つになるという目的で結成され,他の政党も合流して一党独裁のような体制になりました。

真珠湾攻撃とマレー半島上陸

1941年4月に,日本はソ連と日ソ中立条約を結びます。これはお互いに領土を侵略せず,どちらかの国が第三国から攻撃された場合も,中立の立場を守ることを決めた条約です。

日ソ中立条約によって,日本は東南アジアに侵略する際の北方の安全を守ることができ,ソ連はドイツとの戦いに集中できるようになりました。

そして日本は陸軍大臣であった東条英機とうじょうひできの主張のもと,フランス領インドシナへの侵略を強め,援蒋ルートを完全に遮断することに成功します。

しかしこの動きに対して,東南アジアに植民地を持っていたイギリスオランダが強く反発します。

その結果8月に,アメリカは日本に対する石油の輸出を禁止することを決定し,それにイギリスとオランダも同調しました。

こうして日本はアメリカ・イギリス・中国・オランダと対立し包囲されることになります。これを日本はABCD包囲網と呼びました。AはAmerica,BはBritain(イギリスのこと),CはChina,DはDutch(オランダのこと)を指します。

アメリカと日本は1941年4月からお互いに戦争を起こさないようにと交渉を続けていましたが,交渉は平行線をたどっていました。

11月にはアメリカの国務長官ハルから「ハル=ノート」と呼ばれる条件書が提出されましたが,10月に首相となった東条英機はこれ以上交渉はできないとし,アメリカとの戦争を決断します。

そして1941年12月8日,「ニイタカヤマノボレ」という暗号文を送信し,アメリカ艦隊が多数駐留するハワイ真珠湾(パールハーバー)を奇襲しました。

また,同時に日本は資源が豊富なイギリス領マレー半島も攻撃しました。これによって日本対アメリカ・イギリス・オランダなどとの太平洋戦争が始まりました。

日本は東南アジアを一気に攻めて,香港,マレー半島,マニラ,シンガポールなどを次々と占領していきました。

第二次世界大戦の終結

連合国の反撃

ここまでは枢軸国が優勢な状態でしたが,次第に連合国が巻き返していきます。

まず1942年6月に太平洋で行われたミッドウェー海戦でアメリカ軍が日本軍を破り,日本は太平洋での主導権を失って,一気に不利な状況に陥りました。

ヨーロッパでは1942年8月から,ドイツとソ連がスターリングラード(ソ連の都市)で戦いを開始していました。

初めはドイツ軍がスターリングラードを占領しましたが,ソ連軍も必死の抵抗で逆にドイツ軍を包囲することに成功し,1943年2月にドイツ軍は撤退しました。

また,日本も1943年2月にアメリカ軍に攻撃され,ガダルカナル島から撤退しています。

そして1943年7月には連合国軍がイタリアのシチリア島に上陸し,イタリア国内ではムッソリーニ政権が倒れてバドリオが政権を握り,1943年9月に降伏を表明してドイツに対して宣戦布告をしました。

ノルマンディー上陸作戦

1944年6月にアメリカ・イギリス・カナダの連合軍が,フランスのノルマンディー海岸に50万人もの兵士を上陸させるという史上最大の作戦を敢行しました。これがノルマンディー上陸作戦です。

ドイツも反撃しましたが上陸を止めることはできず,ここで一気に戦況が変わりました。

太平洋戦争では1944年6月にアメリカ軍がサイパン島に上陸し,7月には陥落して日本本土への空襲が激化していきました。

1944年8月,連合軍はドイツに占領されていたフランスのパリを解放することにも成功し,いよいよ戦争の終わりが近づいていきます。

ドイツの降伏

1945年2月に,アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルト,イギリス首相のチャーチル,ソ連首相のスターリンがロシアのヤルタで会談を実施し(ヤルタ会談),戦後の処理について話し合いました。

また,このときにソ連が日本との戦いに参戦することを秘密裏に決定しました。秘密裏に決定した理由は,ソ連は日本と日ソ中立条約を結んでいたため,本来は参戦できないからですね。

ソ連軍がドイツの首都ベルリンを包囲して,1945年4月30日にヒトラーが自殺しベルリンは陥落しました。そして5月に正式にドイツは降伏して,ヨーロッパでの戦争は終結しました。

日本の降伏

日本では1945年3月から6月にかけてアメリカ軍が沖縄に上陸して,沖縄戦が開始しました。これは日本で唯一の地上戦になります。

沖縄戦では人口の約4分の1もの人々が犠牲になったとされています。また,アメリカ軍の捕虜になることを恐れたり,降伏するくらいなら自決しろという日本軍の命令で,集団自決する人も多くいました。

5月にはアメリカ軍による東京大空襲が行われ,10万人以上の死者が出る大被害となりました。

7月にはアメリカ・イギリス・ソ連がドイツのポツダムで,ドイツの戦後処理と日本に対する無条件降伏の勧告について話し合いを行いました(ポツダム会談)。

そして日本に無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発表しました。しかし日本はあろうことかポツダム宣言を無視します。

ポツダム宣言が無視されたためアメリカは原子爆弾の投下,ソ連も参戦を決定します。

1945年8月6日に広島8月9日に長崎原子爆弾が投下され,8月8日にソ連が日ソ中立条約を破って満州や朝鮮に侵攻しました。

これを受けてようやく日本はポツダム宣言の受諾を決め,1945年8月15日に昭和天皇がラジオ放送で国民に戦争に敗れ,降伏したことを知らせました。

天皇の肉声を放送することを玉音放送ぎょくおんほうそうと言います。

第二次世界大戦と太平洋戦争 まとめ

以上が第二次世界大戦と太平洋戦争のまとめになります。

第二次世界大戦はヨーロッパ,太平洋戦争はアジアの方が舞台になるので,時系列が少しわかりにくい部分もありますが,全体的な流れは以上になります。

都市や島の名前もいろいろ出てくるので,地図と照らし合わせながらしっかり覚えていきましょう!

次回は戦後の日本についてまとめます。GHQのもと,日本の改革が行われていきますよ。ここでも大切内容がたくさん出てくるので,それぞれ丁寧に解説していきます。

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