【前回のおさらい】豊臣秀吉の天下統一事業
前回は豊臣秀吉の天下統一事業について解説していきました。
見事に天下統一を成し遂げた秀吉でしたが,朝鮮出兵をきっかけに勢力を弱めていきましたね。
そして今回からいよいよ徳川家康が登場します!
最初は江戸幕府を開いた経緯と,幕府の政策についてまとめていきます。
ちょうど今大河ドラマで『どうする家康』が放送されていますね。その予備知識として役立つとも思います!
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では最終的に天下統一を果たし,60歳を超えて江戸幕府を開いた遅咲きのヒーロー・徳川家康の歴史を見ていきましょう!
日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。
徳川家康 個人史
1598年の秀吉の死後,関東を領地としていた徳川家康が勢力を拡大
⇓
1600年,豊臣方の大名である石田三成を中心とする西軍と,徳川家康を中心とする
東軍に分かれて対立し戦う(関ヶ原の戦い)
⇓
この戦いに勝利した徳川家康は1603年に征夷大将軍に任命され,江戸幕府を開く
⇓
1614年の大坂冬の陣,1615年の大坂夏の陣で豊臣方の勢力を滅ぼす
江戸幕府のしくみ
・幕藩体制…石高1万石以上の領地を与えられた武士を大名,その大名が治める領地を藩とし,幕府と藩の共同で全国の土地と人民を支配する政治制度
幕府の直轄地は幕領といい,江戸は「将軍のおひざもと」,京都は「天皇のおひざもと」大阪は「天下の台所」と呼ばれた
・大名の配置 (江戸に近い順)
①親 藩 …徳川家の親戚で,尾張・紀伊・水戸の三家は御三家と呼ばれた
➁譜代大名…関ヶ原の戦い以前から徳川家に従っていた大名
③外様大名…関ヶ原の戦い後に徳川家に従った大名
徳川家康 個人史 解説
関ヶ原の戦い
秀吉の死後,跡を継いだのは息子の秀頼でしたが,彼はまだ幼かったので政治はできませんでした。
そのため秀吉が任命した五大老と五奉行による話し合いで,政治を行うことになりました。
そして家康は五大老の1人で,五大老の中でも圧倒的に広い領地を抱えていました。
また,後に対立する石田三成は五奉行の1人でしたが,家康とは10倍以上も領地に差があり,実力差は歴然としていました。
そんなわけで,秀吉の死後,権力を握るのは圧倒的な実力を誇る家康になります。自分の好きなように政治を行いました。それに対して怒りを覚えたのが,先ほど出てきた石田三成です。
三成は家康を倒そうと各地の大名に呼びかけ,戦力を集めます(西軍)。ただ,三成は決して戦いが上手なわけでも人望があったわけでもないので,西軍の総大将は五大老の1人毛利輝元が務めました。
また,五大老の1人上杉景勝に幼少のころから仕えていた直江兼続も家康に怒りを覚えていた1人で,家康に「直江状」という怒りの手紙を送ったことも有名です。
これは『天地人』という大河ドラマにもなりましたね。
このように家康と三成の対立は激化し,1600年,いよいよ今の岐阜県にあたる関ヶ原で戦いが始まります。天下分け目の関ヶ原ですね。
しかし西軍には思わぬ誤算がたくさんありました。
例えば,薩摩の島津義弘は三成と対立し出陣を拒否,総大将の毛利輝元は戦いに参加しませんでした。
また,吉川広家が味方の毛利秀元の進路を妨害して出陣できないようにさせました。このとき別の味方が毛利秀元に出陣するように要求したところ,「兵士に弁当を食べさせているから出陣できない」と答えたというエピソードも有名です。
このエピソードは「宰相殿の空弁当」と呼ばれています。
さらに小早川秀秋も西軍から東軍に裏切って,それを機に一気に東軍の流れになります。
そして最終的に,戦いが始まってわずか6時間で東軍が勝利するという結果になりました。
石田三成は後に捕まり,処刑されてしまいます。
関ヶ原の戦いに勝利し,ここから260年近くにわたる徳川家の歴史がスタートします。
江戸幕府を開く
1603年,徳川家康は征夷大将軍に任命され,江戸幕府を開きます。
このとき家康の年齢は60歳を超えていました。まさに大器晩成ですね。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」という句も,まさに家康の性格を表していますね。
ちなみに当時は人生50年と言われ,平均寿命は30歳~40歳ほどでした。その時代で家康は75歳まで生きていたので,かなり長寿だったと言えます。
その理由として,家康はかなりの健康オタクだったからと言われています。
家康は晩年に駿府城(静岡)に移り住みましたが,その近くに薬草を栽培する畑(薬園)をつくるほどでした。
しかしあまりの健康オタクだったので,時には医者の言うことを聞かず,自分と違う診断をした医者を流罪にしてしまうこともあったそうです。
話が逸れましたが,ここから家康は様々な政策を行っていきます。
まず将軍となってすぐに,将軍の職を息子の秀忠に譲ります。これによって,江戸幕府は代々徳川家の人間が継いでいくのであって,豊臣の人間には渡さない,ということを示しました。
将軍は譲りましたが,「大御所」として政治の実権は握っていました。
大坂の陣
当時は「大阪」ではなく「大坂」と書いていました。
大坂の陣とは,家康が豊臣家を滅ぼすために行った戦いで,「大坂冬の陣」と「大坂夏の陣」の2回を合わせて呼びます。
関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方ですが,当時は幼かった秀頼も成人していて,その母の淀殿と一緒に勢力を強めていました。
いまだに豊臣家を慕う人は多かったので,家康は早めに手を打ち,豊臣家を滅ぼす必要がありました。
そこでまず,秀吉を弔うためにお寺を建てることを秀頼に勧めました。この狙いは豊臣家の財産を減らすことです。
この勧めに従って秀頼は方広寺という寺を再建したのですが,方広寺に納める鐘に「国家安康 君臣豊楽」と刻まれていました。意味は簡単に言うと「国に平和が続きますように 君主も臣民(国民)も豊かに楽しく暮らせますように」といったものです。
この文字に対して,家康は無理やり文句を言います。「国家安康」は家康という字を「安」という字で切り離していて,家康に呪いをかけようとしていると主張します。
さらに,「君臣豊楽」には「豊臣」という字が入っており,豊臣を君主として再び栄えようとしているんではないか,とも主張しました。
そして豊臣家に大坂城から退去するように命じますが,当然豊臣家は拒否します。そのため豊臣家は幕府の命令に従わなかったとして,家康は各地の兵を集め大坂城を包囲します(大坂冬の陣)。
大坂冬の陣
この戦いで大活躍したのが,豊臣方の真田幸村です。
真田幸村は大坂城に「真田丸」という砦をつくり,徳川軍に大打撃を与えます。これに対して徳川軍は,淀殿がいるところを大砲で徹底的に狙い,これを恐れた淀殿が家康に和睦を求め戦いは終結します。
真田幸村の活躍も大河ドラマ『真田丸』で描かれましたね。興味がある方は見てみてください。
大坂夏の陣
和睦を結んでいったん戦いは終わりましたが,この和睦には家康が条件をつけていました。
それは,大坂城の総堀を埋めることです。堀は城が攻められないように,城のまわりにつくる大きな溝のことです。そして総堀とは大坂城の1番外側の堀のことを指します。
しかし家康は総堀とは「すべての堀」のことだと言い張りました。豊臣方は話が違うと抵抗しますが,その間に家康は人を派遣して堀をすべて埋めてしまいます。
これによって家康は各段に攻めやすくなり,2度目の戦いを開始しました(大坂夏の陣)。
最終的に秀頼と淀殿は自害し,豊臣家は滅亡しました。
家康の政策 解説
大名の配置
幕藩体制のところに書いたように,石高1万石以上の武士を大名といい,その大名が治める土地を藩としました。石高とは米の生産力のことです。
ちなみに石高1万石未満で,将軍に会える(御目見え)武士は旗本,会えない武士は御家人と言います。
そして家康は,この大名の配置にも気を遣いました。
まず親藩と呼ばれる徳川家の親戚は最も信頼できるため,幕府に近い場所に配置しました。
次に関ヶ原の戦いより前から徳川家に味方していた大名(譜代大名)は,比較的信頼できるため親藩の外側に配置しました。
最後に関ヶ原の戦いより後に徳川家に味方した大名(外様大名)は,あまり信頼できないので遠い場所に配置しました。
このように配置することで,幕府に対して反乱を起こすのを難しくさせました。
江戸幕府の役職
まず1番偉いのはもちろん「将軍」です。そして将軍の補佐をするのが「老中」です。
ただし,重要な決め事するときには,老中の上に臨時で「大老」という職が置かれました。
他には老中の補佐をする「若年寄」,寺社の監視をする「寺社奉行」,朝廷がある京都の監視をする「京都所司代」,大坂を監視する「大坂城代」が置かれました。
鎌倉幕府の「六波羅探題」や室町幕府の「鎌倉府」に似ていますね。
また,老中の下には大名の監視をする「大目付」,江戸の町の政治や警察,裁判などを担当する「町奉行」,幕府の財政を担当する「勘定奉行」,幕領の政治を担当する「遠国奉行」も置かれました。
徳川家康 まとめ
以上が家康が行ったこととなります。
最初の年表は中学校でほぼ確実に習う内容です。解説は中学校では扱わないような,ちょっとプラスアルファの内容も入っています。
何を学ぶにしても,まずは基本をしっかり理解して土台を作ってあげることです!
この記事を土台にして,そこから自分で調べてさらに積み上げていってください。
また,そこで知った知識を私にも共有してもらえると大変うれしいです!
知識はアウトプットすることで初めて定着します。アウトプット相手にも,ぜひこのブログを活用してください!
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