<中学歴史解説>奈良時代と聖武天皇

奈良時代

中学校の歴史の授業前半で習う「奈良時代」についてまとめていきます。

前回は、天皇を中心とした中央集権国家をつくるべく様々な政治改革をして、律令国家が完成するまでの流れを説明していきました。

今回は飛鳥時代が終わり、新しい時代、奈良時代の解説です。

奈良時代と言ったら、有名なのは聖武天皇と奈良の大仏ですね!

なぜあの巨大な大仏を建立するに至ったのか。詳しく解説していきますよ!

歴史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

前回の内容は以下のリンクからご覧ください。

<中学歴史解説>大化の改新と律令国家

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平城京の造設

710年、元明天皇が唐の都・長安をモデルにして奈良平城京を造り、平城京に遷都します。

ここから奈良時代が始まります。

有名な語呂合わせは、「な(7)んと(10)見事な平城京」「納豆(710)ねばねば平城京」がありますね。覚えられれば語呂はなんでもいいです(笑)

碁盤目状の平城京

平城京の特徴として、上記の図のように規則正しい碁盤の目のようなつくりになっている点が挙げられます。このつくりも長安をモデルにしています。

また、平城京では和同開珎わどうかいちんという貨幣が発行され、平城京内の市では物が売買されるようにもなりました。

和同開珎

公地・公民の崩壊

大化の改新によって、日本には公地・公民という原則が生まれました。国民と土地はすべて天皇のものとする、という原則でしたね。

そして班田収授法を制定し、6歳以上の男女に口分田という土地を与えて稲を納めさせ(租)、土地の所有者が死んだら口分田を返却させました。

しかし、この当時は特に男子の税負担が非常に重かったため、戸籍の性別を偽る人が増加しました。また、口分田は手放したくないから、戸籍上では死んでいないことにして、口分田を返さない人も増えました。

このあたりは前回の<中学歴史解説>大化の改新と律令国家を読んでくださいね。

こういった状況に加えて奈良時代には人口も増加したため、国は口分田が不足してしまいます。

そこでこの問題を解決するために、朝廷は723年に三世一身の法さんぜいっしんのほうを制定します。

三世一身の法

これは、新しく土地を開墾した者は、その土地を三世代に限り自分の土地(私有地)としてよいというものです。つまり自分の孫の代までは土地を持っていていいというわけですね。

今で考えると魅力的かもしれませんが、当時はもちろん機械はないですし、農具もそれほど発展していません。

また、この時代の寿命は非常に短かったので、三世代というのはあっという間に経ってしまうんです。

そのため、この法律はあまり効果がありませんでした。

墾田永年私財法

三世一身の法がうまくいかなかった朝廷は、743年に新たな法律を制定します。それが有名な墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうです。

墾田永年私財法は、新しく開墾した土地は永久に私有地にしてよい、という法律です。三世代という制限もなくしたわけですね。

これによって、公地・公民の原則は完全に崩壊しました。土地は天皇のものではなく、開墾した人のものになるからですね。

聖武天皇の即位

ではここから、奈良時代と言えば聖武天皇!ということで、聖武天皇について詳しく解説していきます。

聖武天皇が即位したのは724年のことです。しかし聖武天皇が即位した当時の日本は大変なことが連続していた時代でした。

長屋王ながやおうという政治を担当していた人物と藤原氏という一族の対立、災害の発生、伝染病の流行など、とにかく日本国内でよくない出来事が立て続けに起こります。(この辺は中学歴史では触れないので、興味ある人はいろいろ調べてみてください)

困った聖武天皇はこの状況を何とかするために仏教に頼り、仏教の力で国を守ろうとします。

ここは記述問題で出題されることが多いですよ!

東大寺や大仏の建立

まず全国に国分寺国分尼寺こくぶんにじを建てさせます。

国分寺とは男性のお坊さん(僧侶)のお寺で、国分尼寺とは女性のお坊さん(尼僧)のお寺のことです。

そして都の平城京に、全国のお寺をまとめる総本山として東大寺を建設し、さらに東大寺には大仏も建立します。あの有名な奈良の大仏ですね。

奈良の大仏

この大仏は『廬舎那仏るしゃなぶつ』といい、大仏建立には行基というお坊さんが協力しました。

また、この大仏造りには約260万人もの人々が協力したと言われています。ちなみに当時の人口は約600万人だったので、国民の半数近くが大仏建立に関わっていたんです。

唐との関わり

遣唐使

飛鳥時代聖徳太子の進言で遣隋使の派遣を行うようになりましたよね。

奈良時代もそれは続きます。ただ、このとき中国は隋でなく唐になっていたため、遣唐使と呼ばれます。

遣唐使として有名な人物は阿倍仲麻呂あべのなかまろです。

彼は優秀な人物で、唐でそのまま役人になりました。何度か日本へは帰国しようとしましたが失敗してしまい、そのまま唐で生涯を終えました。

そんな彼が詠んだ歌があります。

あまはら ふりさけみれば 春日かすがなる 三笠みかさの山に でし月かも」

これは百人一首にもなっている歌で、唐から日本へ帰国するときに詠みましたが、先ほど言ったように帰国は失敗してしまいます。

鑑真と唐招提寺

唐との関りとしてもう1つ大切なのが、この鑑真がんじんという人物です。

鑑真は唐の僧で、仏教を広めるために来日しました。しかしその航海は大変なもので、何度も失敗して、ついには失明までしてしまいました。

それでも鑑真は諦めず、10年もの月日をかけて来日し、唐招提寺とうしょうだいじというお寺を建立します。

唐招提寺には鑑真の像があり、それは国宝に指定されていますよ。

唐招提寺の鑑真像

天平文化

最後に奈良時代の文化の話です。

奈良時代の文化は聖武天皇の頃の元号にちなんで、天平文化てんぴょうぶんかと呼ばれます。

天平文化の特徴は、遣唐使がもたらした仏教や国際色の豊かな点です。

正倉院

正倉院しょうそういんは、東大寺にある聖武天皇の宝物を納めた倉庫です。国宝に指定されていますよ。

校倉造あぜくらづくりという建築様式が有名で、柱を用いずに、木材を組み合わせてつくられています。

正倉院

正倉院には、弦が5本あるインドの楽器「五弦琵琶ごげんびわ」や水差しの「漆胡瓶しっこへい」といった宝物が納められています。

五弦琵琶
漆胡瓶

万葉集

万葉集は日本最古の歌集です。

代表的なものは、山上憶良やまのうえのおくらが詠んだ貧窮問答歌ひんきゅうもんどうかです。これは当時の農民の貧しさなどを詠んだ歌になります。

古事記

古事記こじきは日本最古の歴史書とされていて、全部で三巻(上・中・下)から成ります。

内容としては、天皇家の歴史を物語調で書いています。紀伝体きでんたいといって、人物や逸話などを中心に書かれていますよ。

国内向けの読み物になりますね。

日本書紀

日本書紀は天皇家の歴史を、編年体(出来事を年代順に書く)で書いています。全部で30巻あります。

こちらは国外向けの読み物になります。

風土記

風土記ふどきは、地方の自然や伝説、文化などをまとめた書物です。

奈良時代と聖武天皇 まとめ

以上が奈良時代のまとめになります。

墾田永年私財法が制定され、公地・公民の原則が崩れたこと、そして聖武天皇が仏教の力に頼って国を治めたこと。

この2点をしっかりと頭に入れておきましょう!

次回は平安時代についてまとめていきます。次回もお楽しみに!

奈良時代歴史
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