<中学歴史解説>条約改正と日清・日露戦争

明治時代

【前回のおさらい】西南戦争と自由民権運動

前回は政府を去った西郷隆盛板垣退助が政府と戦う流れを解説しました。西郷隆盛は西南戦争を起こし武力で,板垣退助は自由民権運動を広めて言論で政府と戦いましたね。

>西南戦争と自由民権運動

西南戦争で西郷隆盛は敗北しましたが,板垣退助の自由民権運動によって政府は国会の開設と憲法の制定を約束し,ついに1889年大日本帝国憲法が発布され,近代国家としての形を整えることができました。

そしてここからは明治政府の大きな課題であった不平等条約の改正に尽力していきます。また,同時に2つの大きな戦争も経験していきます。この流れを丁寧に解説していきますよ!

戊辰戦争,明治維新などについてのまとめはこちらから!

日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

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領事裁判権の撤廃

井上馨の欧化政策

明治時代になって文明開化が起こり,日本には西洋の文化が積極的に取り入れられていました。

そして1879年に外務卿(外務大臣)になった井上馨いのうえかおるは,欧米諸国に認めてもらうためにより積極的に西洋化を進めていきます。これを欧化政策といいます。

欧化政策で有名なのは東京に鹿鳴館ろくめいかんを建設し,そこで毎晩西洋風のパーティーや舞踏会を開きました。日本も欧米諸国と同じくらい文化が発展したのだというアピールをしたわけですね。

しかし西洋のマナーなどをよく知らないまま行っていたので,むしろ欧米諸国からは馬鹿にされる結果となってしまいました。

下の絵はフランスの画家ビゴーが描いた風刺画です。日本は西洋の猿真似をしているだけだ,と馬鹿にされているのがよく分かりますね。

ビゴーの風刺画。鏡には猿の顔が映っている。

ノルマントン号事件

欧化政策は上手くいかず国民からも怒りの声が上がっている中,1886年ノルマントン号事件が起きます。

これは日本人を乗せたイギリス船ノルマントンが沈没してしまったときに,イギリス人の船長がイギリス人だけを助け,日本人を全員見殺しにしたという事件です。

しかし日本はイギリスに領事裁判権を認めていたので,日本の法律でイギリス人船長を裁くことができず,船長は軽い罰を受けるだけで済まされてしまいました。

この判決に対して国民はさらに激怒し,条約改正を望む声が大きくなります。日本は当時の外務大臣である陸奥宗光むつむねみつが粘り強く交渉しました。

また,このときイギリスはロシアの南下政策に備えたかったため,日本と軍事協力をしようと考えていました。

そして1894年,軍事協力と引き換えに領事裁判権を撤廃する日英通商航海条約を結ぶことに成功しました。さらに同年,他国ともイギリスと同じように条約を改正しました。

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日清戦争

近代国家としての形を整えた日本でしたが,欧米諸国に対抗するためにアジアへの進出も積極的に考えていました。

そしてその足掛かりになるのは日本から一番近い朝鮮半島になります。そのため朝鮮半島を巡って清(中国)と勢力争いを繰り広げていました。

甲午農民戦争

1894年に,朝鮮で東学(キリスト教に対抗する宗教)を信仰する農民が外国勢力を追い出そうと反乱を起こしました。これを甲午農民戦争こうごのうみんせんそうといいます。

朝鮮政府はこの反乱を抑えることができず,清に助けを求めます。

これに対し日本は,清の朝鮮に対する影響がこれ以上強くなるとアジア進出の支障になると思い,朝鮮にある日本大使館を保護するという名目で朝鮮に出兵します。

そしてそのまま日本と清の戦争も始まります。これが日清戦争です。

下関条約

日清戦争は日本の圧勝で終わり,1895年に山口県下関で下関条約が結ばれました。内容は以下の通りです。

1.清は朝鮮の独立を認める(清の属国ではない)

2.遼東半島,台湾,澎湖諸島を日本に譲る

3.賠償金2億両(約3億円)を日本に支払う

1について,朝鮮はずっと清の家来のような関係性でした。それがなくなったため,1897年に朝鮮は大韓帝国と国名を変えて独立しました。

2については,日本が遼東半島を手に入れたことはアジア進出する上で非常に大きなことでした。

というのも,遼東半島は朝鮮にも清にも接しているからですね。

しかしこれに対して反対する国がいました。南下政策を進めていたロシアです。

ロシアは寒さの厳しい土地になるので,冬になると港が凍ってしまい船が出せなくなってしまいます。

そのため凍らない港(不凍港)を求めて南に勢力を拡大しようとしていました。これを南下政策と言います。

そしてロシアは遼東半島の北に広がる満州を狙っていました。その矢先に遼東半島を日本が獲得してしまったので,満州進出を狙うロシアとしては日本が非常に邪魔な存在になったんですね。

そのためロシアはドイツフランスに呼びかけて遼東半島を清に返還するよう勧告しました。これを三国干渉といいます。

戦争直後ということと三国にプレッシャーをかけられたこともあって,さすがに日本は従わざるを得ず,泣く泣く遼東半島を返還します。

この出来事をきっかけにロシアに対する敵意が増すこととなりました。

3の賠償金は主に軍備に使われました。1901年には北九州市八幡製鉄所が建設されました。

清から輸入した鉄鉱石と,九州北部にある筑豊炭田ちくほうたんでんで採れる石炭を使って鉄鋼を生産しました。

日露戦争

義和団事件

日本のロシアに対する不満が高まっていたときに,1899年に清で義和団という集団による外国人を追い出そうという運動が起きます。

彼らは扶清滅洋ふしんめつよう(清を助けて西洋を滅する)を唱え,1900年に欧米諸国に対して宣戦布告をしました。これを義和団事件といいます。

日本も清に領土を持っていたので参戦し,結果的に計8か国が清に出兵して清は敗北しました。

このときにロシアは大軍を派遣して満州を支配してしまいました。

日英同盟

ロシアの南下政策を食い止めたいと考えていたのはイギリスも同じでした。そこで1902年に日本とイギリスは日英同盟を結びます。

日英同盟では,どちらかの国が1国を相手に戦争を始めたらもう1国は中立を守ること,2国以上を相手に戦争を始めたら味方として参戦することが決まりました。

これが日本がロシアに対して戦争を仕掛けるきっかけとなりました。

ポーツマス条約

1904年日露戦争が始まりました。ロシアには世界最強と言われていたバルチック艦隊がありましたが,東郷平八郎が日本海海戦で勝利するなど,苦戦しながらも戦争を優位に進めていきます。

ただ決定的な勝利とはならず,日本は兵力や物資が不足していきました。

そんな中でロシア国内でも戦争反対派などが革命を起こしたため,どちらも戦争を続けるのが困難になりました。

そこで日本は日本海海戦に勝利した後,アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに仲介を依頼して,ポーツマス条約をロシアと結びました。

ロシアは戦争に負けたとは認めなかったので,日本が最大限譲歩して条約は結ばれました。内容は以下の通りです。

1.日本は韓国の支配権を持つ

2.遼東半島南部の旅順・大連を租借(借りる)

3.南満州鉄道の利権を得る

4.南樺太(サハリン)の領有権を得る

日本の勝利で終わりはした日露戦争でしたが,ポーツマス条約の内容に国民は激怒します。

というのも,日清戦争のときのように賠償金が得られなかったからです。

日露戦争は日清戦争よりもはるかに被害が大きく,戦争の影響による増税などもあって国民の生活は苦しくなっていました。

それなのに賠償金がないことに不満が爆発し,日比谷焼き討ち事件が起こりました。

反戦主義者

日露戦争のときは,戦争に反対する人々もいました。

戦争に向かう弟を思う詩『君死にたまふことなかれ』を発表した与謝野晶子よさのあきこや,労働者を国の道具として戦争に向かわせるのはおかしいと,社会主義的な考えから反戦を主張した幸徳秋水こうとくしゅうすい,キリスト教の教えから反戦を主張した内村鑑三うちむらかんぞうらが有名です。

特に社会主義の考えを持っていた幸徳秋水は処刑されてしまいます。これを大逆事件たいぎゃくじけんといいます。社会主義については次回詳しく説明していきます。

韓国併合

ポーツマス条約によって韓国の支配権を手にした日本は,1905年韓国統監府かんこくとうかんふを設置します。

初代の統監は伊藤博文で,韓国に対する支配を強めていきます。しかし1909年に伊藤博文は韓国の安重根アンジョングンに暗殺されます。

伊藤博文の死を受けて,日本は1910年韓国併合を行い日本の植民地にしました。

そして朝鮮総督府を置いて支配します。1945年まで支配は続き,朝鮮人に日本史や日本語を教える同化政策を実施しました。

関税自主権の回復

韓国併合によって植民地を得たことで,日本は欧米諸国にも一目置かれる存在となりました。

そして1911年に外務大臣の小村寿太郎がアメリカと交渉して,ついに関税自主権の回復に成功しました。

不平等条約改正と日清・日露戦争 まとめ

以上が不平等条約改正と日清・日露戦争のまとめになります。

日清・日露戦争をきっかけに,日本も欧米諸国と並んで強国の仲間入りを果たします。そして次回はもう1つの大きな戦争である第一次世界大戦についてまとめていきます。

このとき日本は何をしていたのか,そして世界大戦の結果世界はどのように変化していったのか。この辺りの内容を詳しく解説します!次回もお楽しみに!

中学校では習わないようなプラスアルファの内容も含んでいますが,高校で習うのでまとめて覚えておくと便利かと思います!

何を学ぶにしても,まずは基本をしっかり理解して土台を作ってあげることです!

この記事を土台にして,そこから自分で調べてさらに積み上げていってください。

また,そこで知った知識を私にも共有してもらえると大変うれしいです!知識はアウトプットすることで初めて定着します。アウトプット相手にも,ぜひこのブログを活用してください!

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