<中学歴史解説>世界の古代文明

古代文明

中学校の歴史の授業で最初に習う「世界の古代文明」についてまとめていきます。

人類の誕生や,どのようにして文明を発展させていったのか,その起源をわかりやすく解説します!

歴史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

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原始時代

人類の起源と旧石器時代

最も古い人類は,今から約700万年から600万年前にアフリカで現れた猿人(アウストラロピテクス)とされています。

猿人は,すでに二足歩行をしていたと考えられています。そのため両手が自由に使えて,道具を扱えるようになって,知能も徐々に発達していきました。

今から約250万年前に地球は氷河時代を迎えました。地球の陸地の約3分の1が氷におおわれる氷期ひょうきと,温暖な気候の間氷期かんぴょうきが繰り返されました。

そんな中で約200万年前に原人(ホモ・エレクトス)が現れました。インドネシアのジャワ島や中国の北京で,原人の化石が発見されています。

原人は火や言葉を使用したとされていて,さらに打製石器を使って狩りや採集も行っていました。

そして今から約20万年前に,アフリカで現在の人類の祖先にあたる新人(ホモ・サピエンス)が現れ,世界中に広がっていきました。

人類が打製石器を使用して生活していた時代を旧石器時代と呼びます。

旧石器時代は,まだ日本とユーラシア大陸は陸続きになっていました。長野県野尻湖のじりこで,大陸に住んでいたナウマンゾウオオツノジカの化石が発見されています。

また,相沢忠洋あいざわただひろ群馬県岩宿遺跡で打製石器を発見し,日本にも旧石器時代に人が住んでいたことが分かりました。

新石器時代

今から約1万年前に氷河時代が終わって,温暖な気候になっていきました。人類は弓矢を使って小動物を捕えたり,牛や馬の飼育,麦や稲の栽培を行うようになります。

また,土器が発明されて食べ物を煮たり,保存したりできるようになり,石を磨いた磨製石器を使って木を切ったり加工したりするようになりました。

このように,土器や磨製石器の使用や農耕・牧畜が始まった時代のことを新石器時代と呼びます。

そして,旧石器時代と新石器時代を合わせて原始時代と呼びます。

古代文明の発展

農耕や牧畜が行われるようになると,土地や食料などをめぐって争いが起こるようになります。

そして勝った者が負けた者を支配するようになり,が誕生していきました。

そして特に生活に欠かせない水が得られる場所で,国が大きくなり文明が発展していくことになります。

四大文明と河川

メソポタミア文明

現在のトルコやイラクのあたりを流れるチグリス川ユーフラテス川の間にはメソポタミア文明が成立しました。

メソポタミア文明では世界最古の文字とされる楔形文字くさびがたもじが発明されました。

楔形文字を解明したことにより,シュメール人という民族がいて,彼らの住んでいた町の名前がウルウルクと呼ばれていたことが分かっています。

月の満ち欠けに基づいた暦法である太陰暦も発明されています。太陰暦では,1年が約354日くらいになります。

また,後にメソポタミアを支配したアムル人という民族が,バビロンという都市を都とする古バビロニア王国を建国しました。

その王であったハンムラビ王ハンムラビ法典という法律をつくります。「目には目を,歯には歯を」という復讐法の原則で有名な法律です。

簡単に言ってしまえば「やられたらやり返せ」ということですね。

エジプト文明

世界最長の川であるナイル川が流れるエジプトでは,古くから文明が発展していきました。

エジプトの王はファラオと呼ばれ,ファラオのお墓であるピラミッドが建設されました。ギザ地方にあるクフ王のピラミッドが有名ですね。

また,象形文字(ヒエログリフ)と呼ばれる文字の発明や,ナイル川の氾濫はんらん時期を知るために太陽の動きをもとにした太陽暦も発明します。1年を365日で計算する暦法れきほうですね。

エジプトとメソポタミアを含む地域はオリエントと呼ばれ,この2つの文明を合わせてオリエント文明と言います。

インダス文明

インド西部を流れるインダス川では,インダス文明が発展しました。

代表的なのがモヘンジョ・ダロという大都市で,大浴場があったり,下水道が整備されていたりと高度に発展した都市があったことが明らかになっています。

インダス文字という文字も使われていましたが,これはいまだに解読されていません。

また,後にカーストというインド特有の身分制度もつくられます。

中国文明

殷王朝

中国の黄河長江の流域では中国文明が発展しました。

黄河の流域にはゆうと呼ばれる集落がたくさんでき,その中でも力を持っていた邑がいんという国をつくりました。

殷では亀の甲羅や動物の骨に刻まれた,漢字のもとになった甲骨文字が発明されました。

周王朝と春秋戦国時代

殷王朝を倒し,次にできたのがという国です。

しかし周の都が異民族に侵略されて力を失い,その後は7か国で中国の覇権を争う春秋戦国時代に突入しました。

春秋戦国時代には,諸子百家しょしひゃっかと呼ばれる思想家が多く登場しました。各国はどのように国をまとめて,強くしていけばよいかのアドバイスを求めていたわけです。

代表的な諸子百家は儒教を広めた儒家の1人である孔子です。儒教は簡単に言うと,上下関係を大切にする教えです。

そのため,君主は「徳」をもって良い政治を行い,家臣は「礼」をもって行動するべきだとしました。儒教の教えは日本にも強い影響を与えています。

また,国を安定させるには法による支配が必要だと考える法家という思想家も現れました。

さらにこの時代には鉄製の農具や武器も使われるようになります。

ちなみに春秋戦国時代の争いの様子は,大人気漫画『キングダム』に描かれています!

『キングダム』は映画化もされていて,実写映画の中でもかなり高く評価されていますよ!

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秦王朝

500年にもわたる春秋戦国時代を終わらせ,初めて中国全土を統一したのがしんです。秦の王は始皇帝しこうていと名乗り,皇帝となりました。

そして今まで各国でバラバラだった文字や貨幣などを統一し,中国を1つにまとめるべく中央集権化を進めていきます。

また,中国北部にいた民族の侵入を防ぐために万里の長城も建設します。

始皇帝は法によって国をまとめようと考え,法家の思想を重視します。

そのため儒家に対しては,儒家の本を焼き捨て,儒家を穴に埋めて殺害する焚書ふんしょ坑儒こうじゅという厳しい弾圧を行いました。

儒家の思想は,「君主は良い政治を行うべき」というものです。これは要するに君主に対して「良い政治を行え」と命令しているようなものなので,これが始皇帝は気に入らなかったわけです。

こうした急激な変化は,やはり不満を生みますよね。次第に秦に不満を持つ者たちが反乱を起こすようになります。項羽こうう劉邦りゅうほうといった人物たちが立ち上がったんですね。

結果として秦王朝はわずか15年で滅んでしまいます。しかし秦がつくった政治の仕組みが,後の王朝にも活用されていくことになりますよ。

ちなみに中国には兵馬俑坑へいばようこうという世界遺産があります。

秦の始皇帝は,亡くなったときにお墓に数千体の兵隊や馬の人形(兵馬俑へいばよう)と一緒にが埋められました。兵馬俑坑とは,この兵馬俑が発掘された場所のことです。

兵馬俑

漢王朝

先ほど登場した項羽と劉邦は協力して秦を倒しましたが,後に対立して劉邦が勝利し,長安を都とするを建国します。

漢の時代には西方の国とシルクロード(絹の道)を通じて交易していました。

中国からは絹織物が送られ,西方からはブドウや馬,インドからは仏教が伝わりました。

人類の誕生と世界の古代文明 まとめ

以上が人類の誕生と世界の古代文明のまとめになります。

古代文明はテストでも頻出の内容です。各文明が発展するきっかけとなった河川の名前,そして各文明で発明されたものは必ず押さえておきましょう!

次回は舞台を日本に移し,縄文時代と弥生時代についてまとめていきます。次回もお楽しみに!

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