<中学歴史解説>平安時代と藤原氏の摂関政治

平安時代

中学校の歴史の授業前半で習う「平安時代」のうち、藤原氏の政治を中心にまとめていきます。

前回は、聖武天皇が仏教の力で国を守ろうとして、全国に国分寺と国分尼寺、平城京に東大寺と大仏を建立したところまで話しましたね。

今回はその続きで、なぜ都が平城京から平安京に遷ったのか、そして藤原氏はどのようにして政治権力を握っていったのかを詳しく解説していきますよ!

歴史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。

前回の内容は以下のリンクからご覧ください。

<中学歴史解説>奈良時代と聖武天皇

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平安時代の始まり

平安時代という言葉は、このときの都が京都の平安京だったことから来ています。

でも奈良時代は平城京が都でしたよね?なぜ奈良から京都の平安京に都をうつしたのでしょう。

794年桓武天皇かんむてんのうが京都に平安京を造り遷都せんとしました。これが平安時代の始まりです。

有名な語呂合わせは、「な(7)く(9)よ(4)ウグイス平安京」ですね。

そして平安京に遷都した理由ですが、それは平城京で仏教勢力が力を強め、政治にも関与してくるようになったからです。

前回話した通り、聖武天皇は仏教の力で国を守ろうとしました。そのため、仏教勢力の力がどんどん強くなっていったんです。

その最たる例が、道鏡どうきょうという僧侶です。結論から言うと、彼は一僧侶でありながら、なんと天皇の座を奪おうとした人物なんです。

テストでは出ないので細かい話は省きますが、簡単に言うと、道鏡は称徳天皇しょうとくてんのうという女性の天皇に寵愛されて、法王という仏教界のトップの地位まで選ばれます。

そして大分県にある宇佐八幡宮うさはちまんぐうという神社で、「道鏡を天皇にすれば日本は平和になる」といった神託(神からのお告げ)があったとして、道鏡は自分を天皇にするようにと称徳天皇に迫ります。

ただ、称徳天皇も天皇家の人間でない者に皇位を譲るのはマズイと思い、最終的には思いとどまりました。

この結果、道鏡は左遷されて、その後は細々と生活してその生涯を終えたそうです。

この話からも、当時の仏教勢力がどれほど力を持っていたかが分かると思います。

そのため桓武天皇は、仏教勢力が政治に口出ししてくるのを嫌って、奈良から京都に都を遷したんですね。

桓武天皇の政治

平安時代の最初の天皇は、先ほどから書いている通り桓武天皇です。

都を遷したこと以外に彼が行ったこととして有名なのは、蝦夷えみし征伐せいばつです。

蝦夷の征伐

桓武天皇の時代、東北地方には朝廷に従わない蝦夷と呼ばれる人々がいました。

蝦夷のリーダーはアテルイという人物で、彼が何度も朝廷の軍を追い返していました。

そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろという人物を征夷大将軍せいいたいしょうぐんという役職に任命して、蝦夷の征伐を命じます。蝦「夷」「征」伐するから「征夷」大将軍なわけですね。

坂上田村麻呂は桓武天皇の期待に応え、蝦夷の征伐に成功しました。ちなみに坂上田村麻呂は、京都にある観光名所の清水寺の創設にも深く関わっているんです。

平安新仏教の広まり

平安時代の初期には、密教という新しい仏教のスタイルも確立しました。

密教とは、山にお寺をつくり、そこにこもって修行するというスタイルです。

これだと仏教徒は山にこもることになるので、奈良時代のように政治に口出ししてくるのを防げますよね。朝廷にとっても都合の良い仏教スタイルなんです。

この新しい仏教を伝えたのは、唐で仏教を学んだ最澄さいちょう空海という2人の僧侶です。

最澄の天台宗

最澄は、滋賀県と京都府のあたりにある比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじというお寺を建て、天台宗を広めました。最澄は「伝教大師」とも呼ばれます。

比叡山延暦寺は織田信長に焼き討ちされたことでも有名ですよね。

最澄と天台宗の覚え方は「天才」です。「天」台宗の「才(最)」澄ということです。漢字は間違えないように気をつけてください。

空海の真言宗

空海は、和歌山県にある高野山こうやさん金剛峯寺こんごうぶじというお寺を建て、真言宗を広めました。空海は弘法大師こうぼうだいしとも呼ばれます。

「弘法にも筆の誤り」ということわざは聞いたことがありますか?

空海は三筆という、800年代に活躍した3人の書道に優れた人物の1人に選ばれています。ちなみに残りの2人は嵯峨さが天皇と橘逸勢たちばなのはやなりという人物です。

そして「弘法にも筆の誤り」とは、「書道の名人である弘法大師でも書き間違えてしまうことはある」、つまり「どんな名人でも失敗することはある」という意味のことわざです。

空海と真言宗の覚え方は「真空」です。「真」言宗の「空」海ということですね。

藤原氏の摂関政治

800年代の後半から、藤原氏という一族が台頭してきます。藤原氏の先祖は、大化の改新で活躍した藤原(中臣)鎌足です。

藤原氏は自分の娘を天皇の妃にし、生まれた子を天皇にすることで天皇の親戚になりました。そして摂政関白という役職に就き、政治の実権も握っていきます。

摂政=天皇が子ども、または女性のときに政治の補佐をする役職。

関白=天皇が成人後も政治の補佐をする役職。

このように、藤原氏が摂政や関白になって行った政治を摂関政治と言います。摂関政治は、11世紀前半の藤原道長と息子の頼道よりみちのころに全盛期を迎えました。

藤原道長

藤原道長には4人の娘がいましたが、そのうちの3人を天皇と結婚させて、政治を自分の思うがままにしていました。

すべてが自分の思い通りにいった道長は、こんな歌を詠んでいます。

「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば」

意味は「この世は満月に欠けている部分がないのと同じように、すべて自分の思い通りになる」といった感じです。

この歌から、当時の藤原道長の権力の絶大さがうかがえますよね。

藤原頼通

藤原頼通も摂関政治の全盛期に活躍した人物ですが、彼は10円玉に描かれている建築物を建てたことでも有名です。その建築物とは、平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどうですね。

平等院鳳凰堂は寝殿造しんでんづくりという建築様式が用いられています。寝殿造とは、建物と建物の間を渡り廊下でつなぎ、中央には池があるような建築様式です。

平等院鳳凰堂

では、なぜ頼道は平等院鳳凰堂を建てたのでしょうか。それには浄土信仰というものが関係しています。

浄土信仰

1052年ごろ、仏教では末法思想まっぽうしそうという考えが広まっていました。

末法思想とは、仏教の開祖である釈迦しゃかの死から2000年が経過すると、仏教の力が弱まってしまうという考えのことです。そしてこの考えがどんどん拡大解釈されて、世の中が終わるとまで考えられていました。

そのため当時の人々は、死んだら極楽浄土に行けるように念仏を唱えて阿弥陀仏あみだぶつ(仏様)にすがるようになりました。これを浄土信仰と言います。

極楽浄土とは、仏様になるための修業ができる、一切のストレスや苦痛がない世界のことです。よく勘違いされがちな天国はキリスト教の価値観なので、極楽浄土とは関係ないです。

浄土信仰が広まり、人々は阿弥陀仏にすがるようになりますが、阿弥陀仏を信じているだけで本当に極楽浄土に行けるのか?と不安に思う人も出てきました。

藤原頼通もそういった人の1人でした。そのため彼は信仰心を示すために平等院鳳凰堂を建てたというわけです。

国風文化

最後に平安時代の文化の話です。

平安時代の文化は国風文化と言います。その名前から想像できるように、日本独自の文化が誕生したのがこの平安時代になります。

ではなぜ平安時代に日本独自の文化が誕生したのか。解説していきますよ!

遣唐使の廃止

奈良時代から、日本は唐に遣唐使を派遣していましたね。天平文化はその影響を強く受けているという話を前回しました。

しかし9世紀後半ごろになると唐の力が衰えていきます。そのため菅原道真すがわらのみちざねという人物が、遣唐使の派遣はやめるべきだと進言します。

理由は、わざわざ危険を冒してまで唐に学びに行く必要はないからです。そして894年遣唐使の派遣は停止されました。「白紙(894)に戻す遣唐使」という語呂合わせが有名ですね。

菅原道真は「学問の神様」として有名で、受験シーズンには多くの受験生が彼が祀られた神社に参拝に行きますね。菅原道真を祀った京都の北野天満宮、福岡の太宰府だざいふ天満宮、山口の防府ほうふ天満宮は日本三大天神と称されます。

こうして唐というお手本がなくなった日本では、日本独自の文化が花開くことになります。これが国風文化というわけです。

ちなみに唐は907年に滅びて、という王朝が中国を統一しました。

ではここから、国風文化を代表するものをまとめていきます。

かな文字

国風文化といったらまずかな文字です。漢字を変形してひらがなカタカナが生まれました。

かな文字によって、日本固有の感情を豊かに表現できるようになりました。そしてこのかな文字を使った様々な文学作品が誕生します。皆さんも一度は聞いたことがある作品だと思いますよ。

源氏物語

まず有名なのは、紫式部が書いた小説『源氏物語』ですね。

紫式部を描いた大河ドラマ『光る君へ』も2024年1月から放送しています。

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紫式部は藤原道長の娘である彰子ようし女房にょうぼうでもありました。女房とはいわゆる教育係で、和歌や学問を教えていました。

枕草子

清少納言が書いた随筆『枕草子』も非常に有名ですね。随筆とは、自分が思ったこと、感じたことなどを自由に書き記したもののことです。

「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」という各段の出だしが有名な作品です。国語の授業でも扱いますね。

古今和歌集

古今和歌集こきんわかしゅうは、紀貫之きのつらゆきらが編集した最初の勅撰和歌集ちょくせんわかしゅう(天皇や上皇の命令で編集された歌集)です。

古今和歌集の初めには、紀貫之が歌の本質や成り立ちをかな文字で書いた仮名序かなじょという文章が載っています。これも国語の授業で扱いますよ。

竹取物語

「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」という書き出しは聞いたことあるのではないでしょうか?

竹取物語は、かぐや姫の物語として有名ですよね。日本で最古の物語といわれています。

ちなみに竹取物語の作者はわかっていません。

大和絵

最後に大和絵やまとえを紹介して終わります。

大和絵は、日本の風景などを描いた絵画のことで、代表作は紫式部の『源氏物語』を絵巻物にした『源氏物語絵巻』です。作者はわかっていないようです。

源氏物語絵巻

平安時代と藤原氏の摂関政治 まとめ

以上が平安時代前期のまとめになります。

桓武天皇が都を平安京に遷した理由、藤原氏の摂関政治の内容、国風文化が誕生したきっかけなど、大切なポイントが多いです。

流れををしっかりと頭に入れておきましょう!

次回は平安時代の後期をまとめていきます。藤原道長に代わって、2人の権力者がまた登場します。次回もお楽しみに!

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