【前回のおさらい】江戸幕府の滅亡
坂本龍馬が仲介して結ばれた薩長同盟によって薩摩藩と長州藩が協力し,15代将軍徳川慶喜は1867年に政権を朝廷に返す大政奉還を行いました。
これによって,264年間続いた江戸幕府がついに終わりを迎えました。
そしてここからは,日本を改革すべく新政府が動き出します。しかし改革を行う前に,改革を邪魔する恐れがある江戸幕府に従っていた者たちを倒す必要がありました。
今回はこの新政府軍VS旧幕府軍の戦いを見ていきます。あの有名な新撰組も登場しますよ!
前回までの江戸幕府についてのまとめはこちらから!
日本史をまとめるにあたって,参考にした資料は以下の2冊です。
王政復古の大号令
まず大政奉還によって政権が朝廷に渡りましたが,慶喜の狙いとしては幕府は無くなっても,引き続き徳川家として権力を持ち続けることでした。
幕府の将軍だったわけですから,軍事力や経済力は日本の中でも圧倒的です。
そこで新政府が行ったことは「これからは天皇が政治を行う」と宣言することでした。
1867年に出されたこの宣言を王政復古の大号令といいます。ここから明治時代が始まります。
ただ明治天皇はこのときまだ16歳だったため,実際に政治の実権を握ったのは,倒幕に貢献した薩摩藩や長州藩の人物でした。
では新政府の中心にはどういった人物がいたのか簡単に紹介していきます。
まず公家(朝廷に仕える貴族)の岩倉具視,薩摩出身の西郷隆盛と大久保利通,長州出身の木戸孝允や伊藤博文がいました。
他には土佐藩出身の板垣退助,肥前藩(佐賀)出身の大隈重信らがいました。
倒幕に貢献し,明治新政府の中心になった藩のことをまとめて薩長土肥といいます。
さらに西郷隆盛,大久保利通,木戸孝允の3人は維新の三傑といい,日本の改革に大きく貢献した人物として称えられています。
戊辰戦争
先ほどの王政復古の大号令に戻ります。この号令の内容には新政府の組織などについての規定が含まれていましたが,政府の役職の中にもちろん徳川慶喜は任じられませんでした。
新政府としては徳川方を追い出したいわけですから当然ですね。
これに対して徳川方は怒りますが,新政府はさらに徳川方を挑発することで強引に戦いの形に持っていこうとしました。
そして最終的に挑発に乗った徳川慶喜は旧幕府軍を結成し,1868年に新政府軍との戦い,戊辰戦争が始まりました。
鳥羽・伏見の戦い
戊辰戦争の初戦は京都の鳥羽・伏見の戦いからスタートしました。
兵力では圧倒的に旧幕府軍の方が有利でしたが,薩摩や長州は外国との戦いから武器や技術が進化していました。さらに新政府軍は「錦の御旗」という旗を掲げて戦いました。
これは天皇から命令を受けて戦っているという証拠になります。そうすると,旧幕府軍は天皇に対して攻撃を仕掛けているということになってしまいます。
特に慶喜は天皇への忠誠心が強い人物だったのでさすがに天皇を相手に戦うことはできず,新政府軍に敗れてしまいました。
またこの戦いに敗れた後,あとで説明しますが新撰組の局長である近藤勇は新政府軍に投降し,斬首刑となりました。
江戸城の無血開城
敗れた慶喜は江戸に戻りますが,旧幕府軍側では新政府軍と最後まで徹底的に戦おうという声が上がっていました。
しかし戦うとなると江戸という大都市が戦場になってしまうため,それは日本の国力を下げることに繋がります。
そこで新政府の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟が話し合いを行い,旧幕府側は江戸城を明け渡し,その代わりに新政府は攻撃をしないという条件で合意し,無事に戦いは避けられました。
これが江戸城の無血開城です。
会津戦争
江戸城の無血開城の後も,まだ新政府に対して対抗しようという人々は会津(福島)に向かいました。
会津藩主は松平容保という人物で,彼は幕末に京都守護職という尊王攘夷派や倒幕派を取り締まる役職に就いていたため,新政府軍は彼を討つために軍を派遣します。これが会津戦争の始まりです。
このときの旧幕府軍にあの有名な新撰組も加わりました。ここで少し新撰組の話もしていこうと思います。
新撰組の結成
そもそも新選組の結成は,1862年に14代将軍徳川家茂が京都に行き,朝廷と話し合いをする際の将軍の警護として募集されたことがきっかけです。
これに応募したのが近藤勇,土方歳三,沖田総司などでした。
その後も隊士を募集して拡大し,京都守護職である松平容保のもとで京都の警備や取り締まりを行うようになりました。
そしてこのときに松平容保から新撰組と名付けられました。局長が近藤勇,副長が土方歳三,一番隊隊長が沖田総司となりました。
池田谷事件
新撰組の中でも有名なのが,1864年に起きた池田谷事件です。
これは京都の放火と徳川慶喜の暗殺を計画していた尊王攘夷派の長州藩や土佐藩の浪士を,新撰組が突き止め防いだという出来事です。
新撰組にも多くの被害が出ましたが,江戸幕府からは大きく評価されました。
白虎隊の悲劇
話は会津戦争に戻りますが,福島の白河にある白河小峰城で新政府軍と旧幕府軍の戦いが始まりました。
土方歳三が率いる新撰組も奮闘しますが,新政府軍の最新式の武器には敵わず,会津藩の本拠地である会津若松城(鶴ヶ城)まで後退して戦いました。
この戦いには,16歳~17歳の少年で結成された白虎隊も参戦していました。
彼らも懸命に戦いますが新政府軍に成すすべもなく,鶴ヶ城まで退却する途中で飯盛山に落ち延びます。
そこで鶴ヶ城の城下町が燃えているのを見て,「このまま城に入っても敵に捕まるだけで,それは君主や祖先に申し訳が立たないから,潔くここで自刃すべきだ」という意見でまとまりました。
そして白虎隊の隊員は全員自決することとなりました。
※よく鶴ヶ城が燃えているのを見て城が落ちたと勘違いをし,自刃を決断したと言われますが,実際は城が落ちていないのを分かったうえで決断したそうです。
これらのこともあって,ついに松平容保は降伏を決断しました。
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五稜郭の戦い
会津戦争でも敗れた土方歳三率いる旧幕府軍は,北海道の箱館(今の函館)に逃れ,五稜郭という城に立てこもりました。
しかし新政府軍の総攻撃を受けて陥落し,土方歳三も戦死してしまいました。
そして1869年5月に旧幕府軍は降伏し,戊辰戦争も終結しました。
戊辰戦争 まとめ
以上が王政復古の大号令から戊辰戦争の流れになります。
大政奉還後も権力を維持しようとする旧幕府軍と,新しい日本をつくるために旧体制を壊し改革していこうとする新政府軍の戦いでした。
勝利した新政府は,天皇を中心とする中央集権国家を目指して,ここから次々と改革を推し進めていきます。いわゆる明治維新ですね!次回は改革の内容を詳しく見ていくのでお楽しみに!
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